日常を飛び越えろ
なおと@管理人の感じたことや、成長のためのアイディアを書き綴っていきます。
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  • 洗練されたオタクを目指す、ミドルエイジ。
    持ち前の好奇心により、その知識と見識は多岐にわたる。(本人談)
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    自己啓発、ビジネス、経済、投資、語学、各種学術、水泳、音楽、映画
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日本テレビの戸塚ヨットスクール偏向報道に思う
■あからさまな偏向報道のあらすじ
今朝、日本テレビで徳光アナウンサーが司会を務める報道番組で戸
塚ヨットスクールの特集を偶然見た。
あからさまな偏向報道に憤りさえ感じた。
あらすじを書くと大体以下の様になります。

1.戸塚校長が今年の春に刑務所から出所した事の報道
2.過去の死亡事故に対するインタビューと戸塚校長の反論の抜粋
3.死亡事故が起きた時は校内暴力隆盛、今は無気力が支配する世
  相である事を示唆
4.なぜ、今の時代に戸塚ヨットスクール? と問題提起
5.現生徒達へのインタビューで否定的な回答を報道
6.事実上、子供達への相談無しで戸塚ヨットスクール行きが決定
  されるケースがある事に対する問題提起?
  親達の教育放棄ではないか?
7.現生徒の親達に教育放棄ではないかとのスタンスでインタビュー。
8.締めとして子供に正面から向き合うことの出来ない親をクロー
  ズアップ。
  もっと対話が必要なのではないでしょうかと教科書的なコメント。

偏向報道も良いところです。


■何ゆえ偏向報道と断定するのか?
まず、最初の1番と2番。
これは印象操作に他ならない。
特に2番なんて酷いもんだ。
戸塚校長に「死んだ生徒の事をどう思いますか?」と何度も訊かれ
ていることを今更訊き「あれは事故です」と回答させて終わってい
る。
もし、本当にこの事故について問題意識を持っているのであれば、
こんな簡単に終わらせて良い訳はないのだ。
徹底的に検証すべきだ。
それをしなかったのは、検証すべき問題意識を持っていないと言う
ことだ。
つまり、生徒の死と言う過去の事故を持ち出して、感情論に訴えか
けようとするいいかげんなマスコミのやり口。
視聴者が無意識に死んだ生徒と刑務所帰りの校長とどっちをとるか
の選択をするように仕向けている。
確かに、素朴な一般大衆に対しては効果抜群ですからね。

3も印象操作。
昔だって無気力な生徒はいたし、今だって校内暴力はある。
違いはマスコミがセンセーショナルに取り上げるか否かだ。
どちらの問題も昔からあるし、現在無くなっている訳でもない。
それが正しい現状把握であろう。
報道のプロであれば事実の把握は基礎中の基礎。
つまり、わざと印象操作をやっていると考えるのが妥当です。

で、誤った印象操作を元に4の「なぜ、今の時代に・・・」となる
から印象操作に引っかからなかった人間からみると意味不明な問題
提起となる。
ここまでくると報道が完全に破綻している。

次に来るのが5の現生徒へのインタビュー。
二人か三人かインタビューしてたけど、当然否定的だ。
中には親に捨てられたような事を言う生徒もいる。
う〜ん、当たり前じゃん。
今まで自分の道を見つけられなかった子供が厳しい所に来て活き活
きしている訳がない。
厳しさを楽しめる生徒は明らかに標準のさらに上のメンタリティー
を持っている。
即ち、戸塚ヨットスクールには送られない。
VTRが終わって、戸塚ヨットスクールの生徒達が活き活きしてい
ないと非難していたコメンテーターがいたが、馬鹿も休み休み言っ
て欲しい。
そして、こう言う経験の真価っていうのはそこを抜け出してから初
めて分かる。
つまり、卒業してから。
報道のプロならそんな事は百も承知だろうし、一般的な手法だ。
卒業生の否定的なコメントが得られれば破壊力は倍増だ!
しかし、卒業生については一切報道されなかった。
と言う事は、ウラを返すと卒業生から否定的なコメントを引き出せ
なかったと勘ぐる事も出来る。
私自身は戸塚ヨットスクールの卒業生が戸塚校長を弁護しているの
は読んだりした事があるが、卒業生が戸塚校長を非難しているのを
読んだ事はないです。

6の「子供達への相談無しで戸塚ヨットスクール行きが決定」って
いうのも当たり前でしょう。
喜んで行くようなメンタリティーなら、行く必要はありません。
また、子供に判断能力が無い事は社会が認めている。
だからこそ、未成年の契約は成立しないのだ。

7もスタンスがおかしい。
インタビューしたのはこれから我が子を「戸塚ヨットスクール」に
入れようとしている親。
まだ、気持ちがある程度揺れ動いているでしょう。
もし、私がインタビュアーなら手練手管で気持ちを変えさせる事も
できそうです。
だって、効果がまだ分からないんですもん。
本気で検証するなら卒業生の親でしょう。

最後に8の締め。
対話だあ?
対話が必要無いとは言わないが、対話だけじゃ何も解決しない。
人間と人間がぶつかり合うってのはそんな教科書みたいなもんじゃ
ない。


■戸塚ヨットスクール問題の本質とは?
この問題の本質は「マニュアル社会」だ。
生徒に対する「暴力」と「体罰」の違い。
これはマニュアル化出来ない。
「体罰」は「教育を目的としている」とか「愛がある」とか言って
も分かったようで分からない。
「暴力」を振るって「教育を目的としている」と主張すれば「体罰」
になってしまいかねない。
そうなのです。
マニュアルに慣らされた人間には「暴力」と「体罰」の違いが分か
らないのだ。
一方、体験的にそれを知っている人間にとっては「暴力」と「体罰」
は議論するのもバカらしい程自明のものなのです。
しかも、マニュアルに慣らされた人間に説明する手段は殆ど無い。
かくして、「体罰」は「暴力」と同一視され、その「体罰」を公然
と行う「戸塚ヨットスクール」は社会的ないじめにさらされると言
う訳です。

テーマ:教育 - ジャンル:学校・教育


不毛な言葉遊び
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「子曰はく、学びて時にこれを習う、亦喜ばしからずや」
(「論語」学而第一・一 冒頭部分より)

大昔の孔子も言っているように、新しい知識を得たり、それを語り合ったりするのはなかなか楽しい事です。
語り得るものについては、それは全くその通り。
学びそして語る事は純粋に楽しいことでしょう。

問題は語り得ぬものが含まれるものについて語ろうとする場合です。
つまり、「言葉の性質とその限界」(http://biginning.blog8.fc2.com/blog-entry-7.html)と言う記事で書いた様に、言葉の限界を超えた話題について語る場合の事を言っています。
要は神とか霊とか魔術の一部などについてです。
これらについて語る時は本来語り得ぬものについて語っていると言う謙虚さが無くなると、とたんに不毛な言葉遊びに終わります。
まあ、その不毛な言葉遊びを楽しく感じて仲間内で楽しむ分には、特に害が無いので自由にやれば良いのではないでしょうか。
私自身はつまらないからやるつもりはありませんが。

つまり、語る得ぬ「神」を理解するにはいくら言葉を尽くしても無意味で、「信仰」の実践によって感じる事が出来るようになる以外にない。
同じ事が秘境的な知恵についても言えます。

「実践」無くして「理解」無し。

何かを成し遂げるにはコツコツとした地道な実践的努力の積み重ねという基盤が必要です。
当然、魔術についてもあてはまります。
原因があって、結果があるのです。
地道な実践的努力が必要ない事は効果が少ないか、リスクが高いかのどちらかです。


因みに、冒頭で引用した「論語」には、ご存知の通り以下のような記述もあります。

「子は怪・力・乱・神を語らず」
(「論語」述而第七・二〇より)

孔子は怪(常ならぬ事)と神(神霊)については語り得ぬ事だと理解していたからこそ語らなかったのでは無いでしょうか。

触れてはならぬもの?
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今日、何冊か注文していた魔術関係の本の内数冊が届いた。
その中の一つは通称ゲーティア(Goetia)、レメゲトン(Lemegeton)、ソロモン王の小さな鍵(Lesser Key of Solomon The King)等と呼ばれる書物の日本語訳。
原書はヘブライ語。しかも大英博物館に存在するものなので、原書の解読は既に諦めています。
ただ、数種類の英語への翻訳版の内一冊は注文中。

あまりにも有名なので知っている人にとっては当たり前の話なのですが、この本の内容は悪魔の召喚魔術。
白だの黒だので分けてしまえば黒魔術でしょう。
恐らく、市販されている悪魔学や黒魔術の本は、この本を参考にして書かれたものが多いものと思われます。
流石にダークな波動を放っていますね。(笑

ところで世の中には「ダーク」=「悪」と決め付ける向きがありますが、それは正しい考え方なのでしょうか?
映画「スターウォーズ」じゃあるまいし、ダークサイドが直接悪に結びつくってのは極論も良い所です。
ただし、当然の事ながら極端な場合は除きますが。

仏教に「無記」と言う概念があります。
そのモノ自体は善でも悪でも無い。
使い方によってどちらにもなると言う考え方です。
例えばナイフ。
アウトドアでキャンプをする人にとっては、サバイバルナイフはキャンプを楽しむための便利な道具です。
が、目の前にどうしても殺したい人間がいる人にとっては、殺人の道具でしかない。
じゃあ、マシュマロならどうか?
殺人鬼の前にサバイバルナイフの代わりにマシュマロを置けば、殺人は出来ないかもしれない。
なら、マシュマロは善なのか?
違うでしょう。
アウトドアでキャンプを楽しむ人からサバイバルナイフを取り上げてマシュマロを渡しても困ってしまうに違いない。

つまり、黒魔術って言うのはナイフと同様「悪」ではないが、危険な代物と言う訳です。
取扱に注意を要する。
一つだけ確実に言える事は、黒魔術で自分の欲望を叶えたいと思った時点で罠にかかっていると言う事です。
自分の欲望さえコントロール出来ない人間に悪魔をコントロール出来ると思うのが大きな間違い。
悪魔って言うのは象徴的に解釈すると人間の際限無き欲望そのものでもある。
その自分自身の持っているダークサイドを封印するのではなく、ダークサイドの存在を認めて上手くコントロールする事からバランスが生まれるのではないでしょうか?

白か黒、オール・オア・ナッシングではなく、全てはバランスです。
個人レベルでバランスが取れている事を「節制」と言い、集団や社会のレベルでバランスが取れている事を「正義」と言う。

魔術師はリアリスト?
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「魔術」と言う言葉を聞いて一般の人が思い浮かべるのは、「自然の法則を超越して奇跡を起こす術」みたいなものではないだろうか?
私の理解では事実は全く逆です。
術としての魔法の使用というテクニカルかつ表面的な部分のみに限定して言うと、実際にはより深く法則を理解し、それを活用出来るのが魔術師です。
卑近な例で恐縮ですが、魔術師が100万円を手に入れようと考えた場合、働いて稼ぐのが一番効率が良いと結論付けるでしょう。
100万円を物質化させる法力があるなら、同じエネルギーを効率良く働いて稼ぐ事に費やせば比較的短期間のうちに比較にならない程の金銭を得る事が出来るのが道理。
ただ、魔術に熟達した人間が金銭に執着するとは考えにくい。
ヨガに熟達した行者が欲望に振り回されないのと同様に。

では、悪魔や精霊の召喚魔法なんて無いのかと言うと・・・あるにはあります。
ただ、色々な意味で門外漢や入門者が乱用するべきものではない。
特に相手を傷つける黒魔術系の魔術は効果が全く無いか自分を傷つけるだけ。
特に現代人に対しては魔術的な攻撃が効き難くなっているので、リスクが大きく非効率的かつ間違った呪法が広まっている呪いなんぞは止めた方が良いでしょう。
現代人は中世の人に比べると、呪いなんぞを信じていません。
それが信念の如く思念のバリアーとなって弱い呪いなど跳ね返されてしまいます。
その思念のバリアーを弱める方法もあるのですが、そんな事も分からないレベルで他人に呪いをかけようと思うこと自体が大きな間違いです。
また、素人が強い呪いなどを発動してしまった場合、取り返しがつかない状況になる可能性があります。
通常、思念のエネルギーの影響を一番受けるのは精神的又は波動的に近くにいる人間、つまり自分自身や身内です。
つまり、制御の仕方を知らずに呪い等の否定的なエネルギーを放出する事は破滅への道だと言うことです。

魔術の目的は魂の変容です。
そして、この目的を成し遂げるためには、現実を直視しコツコツと努力する事が求められます。
決して、他人を貶めたり、自分だけが楽をするための道具ではありません。
現実を直視する事は魔術師の基本的な素養の一つなのです。

【注記】
筆が走ってしまって、召喚魔法から呪いの話に何の断りも無く切り替わっていますが、召喚魔法と呪いは別の概念です。
混乱された方がいらっしゃったらごめんなさい。