V.S.
創世記において良く指摘される矛盾の一つに、「なぜ、人が二度も創造されているのか?」と言う点があります。 即ち、以下の部分。
■創世記1.27(天地創造の6日目の出来事) 神は御自分にかたどって人を創造された。 神にかたどって創造された。 男と女に創造された。
■創世記2.7(天地創造完了後の出来事) 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。
■創世記2.22-24(アダム誕生後の出来事) そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。 「ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。 これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。 【補足】彼女がエバと命名されるのはもっと後です。
この一見矛盾と見える記述上の食い違いは比較的有名なものではないでしょうか? 比較的簡単に見つける事が出来る矛盾なので、好き勝手な解釈をされやすい部分です。 が、そもそもこれって矛盾なのでしょうか? 何十世紀もの間存続するような書物を書いた人物がこんな簡単な矛盾点に気づかないというのは考え難い。 分かっていて書いていると考えるのが自然でしょう。
そして、これをカバラ的に解釈すると謎が解けるのです。 天地創造の6日目に創造された男女と天地創造完了後に創造されたアダムとエバは同一人物なのか? 天地創造の6日目に創造された男女は神をかたどって創造され、記述のしかたも祝福に満ちているのに、天地創造完了後のアダムとエバの創造の時には土の塵やあばら骨で作られるような散々な言われようなのは何故か? しかも、ユダヤ教の神に形は無いはずです。 少なくとも、我々人間の視点からは・・・。
決定打が「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」という記述。 創世記の冒頭ですぞ。 人類の一番の祖先の父母とは? 明らかに意図的と言わざるを得ない。 また、女と結ばれるために何故離れなければならないのか?
そして、神学上の最大の疑問・・・神にとって「善悪の知識の木」の実を人が食べてしまう事は計画外の事だったのだろうか?
創世記恐るべし。
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